下北沢成徳高校バレーボール部

素晴らしき指導者

私がバレーボール出身だったこともあり娘美峰は小学校4年生からバレーボールをスタートさせた
娘のバレーボール人生は高校で終えるのだが体格に恵まれ
高校を終わるまで中心的存在で ちびっこバレーボール 中学バレーボール
高校バレーボールと常にエースアタッカーを務め東京のジュニアバレーボール界においては
名前を知られる存在ではあった
高校は名将小川良樹監督に誘われ「当時 成徳学園」に入学 当時の指導者は体罰当たり前の練習だったが小川監督は全く体罰なしの指導者だった 体罰の特に激しかったのは関西地方の高校に多く見られた 成徳学園が全国に名を知られるようになると関東はもとより関西地方の学校からも練習試合の申し込みが多くなり 激しく体罰をする高校と全く体罰どころか怒声も発しない小川監督の指導法が際立ち試合も圧倒的に小川監督率いる成徳の圧勝が続いた 今でこそ体罰は厳しく非難されるようになったのだが 名将小川監督を見習えたなら体罰による出場停止は無かっただろう
残念だったことは娘たちの最後の春高バレー全国大会出場を掛けた決勝で絶対有利に進めた試合を
大逆転されて全国大会出場の夢は断たれた
その後 私はバレーボール部後援会設立に奔走して 次なる目標に向かった
当時学校には体育館がなく講堂での練習だった その為天井が低くボールが天井に届く状態だった
後援会を立ち上げるにおいて大きな秘策を胸に秘めて臨んでいた
初代後援会会長を誰にお願いするかだった 当時学園理事長が校長も兼務していたので
もう他に絶対ない最高の適任者だった だが我々の依頼に対して 部活は他にもあるのでバレーボール部の後援会長は受けられないと断り続けられるのだが しつこく食い下がりついに口説き落とすことに成功
こうなると最大の願望「秘めた秘策」をぶっつける事になる それは体育館建設のお願いだ
しかし ここにも大問題が立ちはだかる この地区は住宅街のため高い建物の建設は出来ないとのことだったそうは言っても校長も何とか建てたい気持ちは強かったようで ある日体育館を建てるとの朗報が飛び込んできたバンザイである しかしどこに立てるのかとお聞きすると地下を掘って地下に埋め込む大事業になる
無事に体育館が完成して監督以下 関係者の気合も入る その後大山加奈 荒木絵里香 木村沙織といった生徒が入学して来て一気に全国に羽ばたくことになる
春高バレー インターハイ 国体と年間三冠も獲得し全国に下北沢成徳高校の名を馳せた
その後 大山 荒木 木村は全日本で大活躍することになる。

下北沢成徳高校(前成徳学園)と私